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卓球大好き、家族大事バタバタママです。



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バタバタママの小さな出来事
お弁当作りやお菓子作り、大好きな卓球等日頃の小さな出来事を 綴ります。

お弁当&母の法要
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水曜日のお弁当です。
●イカの唐揚げ(市販)
●丸い薩摩揚げ(二種)
●ピーマンの炒め物
●竹輪の中にポールウインナー
●ダシ巻き玉子

今回は凄く手抜きお弁当でした。

水曜日はむちゃくちゃ寒い日でしたね。
北海道など沢山の雪の害が出ましたね。

その日・・私は熊本へ新幹線で帰省の日でした。
風もきつくて心配でしたが・・

新幹線も15分くらいの遅れで次の電車に乗り継ぎ出来て良かったです。

18日が母の49日の法要でした。
早いものです。もう・・49日も経ったのですから!

一人で帰省でした。
今回は京都・・新大阪から九州新幹線さくらに乗り換えていきましたよ。

京都駅から・・・我が家のお里の最寄りの駅まで乗り換え乗り換えで
7時間ほどかかりました。

新幹線の外を眺めていたら岡山、広島、山口辺りが雪でしたよ。

私のお里も盆地で寒いとこです。

こちらより気温が低いんです。

無事に18日の法要も終わり納骨も済みました。

今朝はまたまた半端じゃない・・寒くて足が冷たくて痛いほどでしたよ。

兄嫁さんはスパッツやヒートテックや沢山はいて過ごしていましたよ。

車の窓ガラスも結露が凍っていてお湯を少しづつかけて溶かしていましたよ。

あちらのお孫ちゃん(三歳)を兄嫁さんと保育園まで送って行きましたよ。

その後・また京都へ新幹線で帰りました。

帰りは7時間半ほどかかりました。やはりお里は遠いです。

母も父の場所へ行けて良かったかな・・

きっと天国では亭主関白もないやろうな〜(o^-^o) ウフッ



お弁当&お母さんお疲れ様そして・・お姉さんありがとう
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金曜日・・お弁当も終わりました。

と言っても作ったのは2日だけですから(´〜`ヾ)

●牛肉と糸コンの甘辛煮
●ニラタマ(醤油少々)
●さつま芋の煮物
●パプリカ二種の炒め物(塩コショウ)

先週の金曜日から私のお里へ帰省しました。

私の母が誤嚥性肺炎で亡くなりました。

以前から危ないかも?と聞いていましたが
まだ先生の診察では大丈夫と言われてて・・
いつ?帰ろうか?と心はもう・・熊本へ飛んでいました。

もう・・認知症になりここ数年は寝たっきりで表情もなくo(;△;)o

兄とお嫁さんがずっと・・介護していました。

9月から熱があり・・入院しているからと連絡ありました。
退院は10月22日かな?

でも〜その退院頃からご飯も口に入れると咽せて駄目だと!
お水も受け付けなくなりました。

気になりながらも・・すぐに帰省出来ないもどかしさはありました。

お嫁さんもまだ・・大丈夫だから連休明けて帰省したら?と言ってくれました。
新幹線でも我が家の駅まで7〜8時間はかかりますから!

それで・・団体戦の試合も出たんです(今思えば母が応援してくれたのでノビノビと試合出来たのかも?不思議なくらいパワーが出ましたから・・)


兄嫁さんだけ二時間に一度起きて母の面倒を看ていました。
若い時なら二時間おきに起きられても今の年齢はしんどいはず!

でも・・私に(帰省して面倒看てなんて言わない優しいお嫁さんです(T-T)

訃報聞いて31日の早朝に出ました(私は新幹線の予定で計画していました)
が=主人が車で帰省しようと( ̄◇ ̄;)エッ

私が車の免許持っていないので・一人では運転も大変だから〜と
随分話しましたが・・

結局車でした。やはり休憩取りながらも13時間でした。

夜遅くまで親戚も待っていました。

母の顔は小さくて・・ツルツルのお肌でした。
昔からなんであんなにツルツルしてんの?と思うくらい綺麗な肌です。

兄達が看ていたけど・・眠るようにすっと・・息しなくなったそうです。

母は昔から1日動いてて疲れていたはずなのに・・横になって居るのを私がお嫁に行くまで見た事ありませんでした。

ただただ・・家族の為に毎日毎日動いていましたよ。

認知症になってからは兄嫁さんがずっとそばに居てくれました。

母は優しい介護してもらい・・安心したと思います。
すっと・・・・・・逝きましたから。

でも〜さすがに最後のお別れは本当に辛いものでした。
泣き崩れても当たり前ですよね。

いとこのお嫁さんが私の肩をしっかり抱きしめてくれていました。

こんな悲しい出来事しか・・いとこなどに会えないなんて悲しいけど
お里を離れて住んでいる私には仕方のないことです。

私は母にありがとう・・ありがとうの言葉をかけてお別れしました。

こちらに帰る時は
兄と兄嫁さんに長い介護のお礼を言って帰ってきました。

認知症になってから17〜18年間大変だったと思います。

帰りも勿論車です。
主人一人の運転は私が気を使いました。
やはり13時間かかりましたよ。

兄嫁さんには感謝です。

お母さん93年間生きてくれてありがとう。




お弁当気がかりな事
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穏やかなお天気でした(o^∇^o)
お弁当は主人(上段)息子(下段)です。
●甘塩サケの焼物
●菊菜、ちくわ、アゲの煮浸し
●切り干し大根
●三度豆の天ぷら
●茹で玉子
●プチトマト
今気がかりな事が「(´へ`;
田舎の母が風邪から肺炎を起こして先日入院しました。
高熱が続いて大変だったそうです。
昨夜兄嫁さんからの連絡では熱も下がって食欲もあるそうですが。。。
熊本まではサッと行けないもどかしさですが!
兄嫁さんが付いていてくれて助かっています。
本当に(^人^)感謝♪です。



私の母
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以前9月の24日にブログに載せたのですが。。。
私の母の認知症も4ヶ月前より随分進行していました。
一時期ご飯食べなくなり兄嫁さんが食べさせてあげようにも口を閉ざしたまま開けようとしなかったと!それに時々微熱出したり尿が殆ど出なくて点滴うちに行ってたそうです。
今は又少しはご飯食べる様になっていました。
以前より変わっていたのは座ったら座ったまま何時間でもじーっとしたまま。
もう自分でお茶も飲まないし物を触って遊ぶ事もなく~
食事はお茶碗持たせたら自分で食べますが、おかずを取ったりはしないのでご飯の中に嫁さんがおかずを小さく切っては入れてます。
口も大きく開ける事無くおちょぼ口で前歯だけで噛むんです。
トイレも時間見て連れて行ってます。お茶も時間を見ては常に飲ませています。
おちょぼ口で飲むので思う様に水分が取れないそうです。でも~嫁さんは1日付いて気長に飲ませています。
お薬も以前はゴックンと飲めていたのですが、ダメで粉に変えてもらったそうですが口に入れたら
プッと吹いてこぼすので今はヨーグルトを少し甘くしてその中に粉薬入れて食べさせています。
歩かせても全く歩こうとしないので歩行器も置いてありました。
でも~少しは運動の為に歩くようにやってくれますが中々なようです。
母は自分の足の前に障害物があると足をあげてくれるので。。。兄嫁さんは自分の足を母の足の前に一歩一歩置きながら歩くようにしていました(T-T)
ベッドに寝かせる時も足を曲げて寝たらそのままの固まった状態で朝までなってるからと。。。
足を真っすぐにして寝かせていました。全く寝返りもしないそうです。勿論本人も母のベッドの横で寝てます。私はたまに来て何も役に立ちませんのでせめて台所は私が担当しました。
父の法事も無事に終わり┐(-。ー;)┌ヤレヤレですが、来年は主人の親の法事があります。
中には老夫婦だけで介護されている家庭も沢山あると思いますが~~色んな事件がありますよね!
手がかかる母を介護してくれている兄嫁さんや兄には(^人^)感謝♪の気持ちで一杯でした。

私の母
先日熊本へ帰省してきました。
私の母は認知症です(数年前は痴呆)数年前から症状が出ていました(今思うと。。
父が亡くなって暫くは一人で住んでいました。
お買い物に行っても沢山有るのに洗濯洗剤、玉子を、、、特に洗剤は毎回買って来てたみたいです。
帰省すると山の様に洗剤がありました。収納庫の前に張り紙を(洗剤は沢山あるよ)しても読んで分かったみたいでも又洗剤を、、、とダメでした。
その内に兄嫁さんが自分の家族~子供、兄を残して(単身赴任??)母と一緒に住んでくれる事になったのです(やはり場所を変えると母が戸惑うからと。。)それだけでも本当に感謝でした。
でも!徐々に母は昔の記憶はハッキリしててももう5分前の出来事は全く分からなくなっていたのです。
今年から兄も退職して息子も結婚や、就職で家に居なくて夫婦で住んでいます。
先日帰省した時にはもう昔の話もしなくて、声も殆ど出さなくなっていました。
(お母さんただいま~)と言っても首を傾げていました。
もう一人では全く生活が出来ないのです。
無言でジッと母は座っている時間が多いのですが目を離したら危ないものも口にするみたいです。
乾燥剤、仏様の灰を棒でかき混ぜて口に=昔そばがき作っていたのでその記憶があるのでは?と
ワサビも開けて口に入れる所を私は慌てて取り上げたのです。
兄嫁さんが時間見ておトイレに連れて行き(トイレの中でしゃがんで母と何かお話してくれていました)寝る時もお姉さんが一緒に寝ています。
7日の内3日はディーサービスに4時半まで出しています(嫁さんは自分の為にそうしてるんだと)
私が嫁さんと替わっても生活のリズムが狂うので私は居る間はお食事係りを受けたのです。
台所のテーブルの上に開けられないような缶や袋を置いてあげたらそれで暫くは遊んでくれます。
私は(お母さん待っててや~ご飯作るからね!)と言うと(*^-^)ニコとして頭を上下にします。
私としては朝、昼、晩と食事の支度は勝手が違うし中々戸惑う事もありましたが。。。
私の居る間は数日間。。何か役に立つと言ったら台所と母と遊ぶ事だけでした。
お団子の粉が有ったので母にきな粉のお団子を作ってあげようと思い~
(お母ーさん、見て!お団子を作ってるよ~)と私は白いお団子をコロコロ丸めながらそばに行くと母はニコニコ(*^-^)しながら手を叩いて喜ぶのです(子供の時に良く母のお団子食べたんだよ~と心で言いながら)今涙をこぼしながらのブログです。
3時に9人が美味しいと食べてくれました。
その後兄嫁さんが用事で出かけている間に(すぐウトウトと寝てしまうので、余り寝かせない様に)母と結んで♪♪開いて♪♪をしてあそびました。
歌いながらその手を上に♪~。その手をお目目に♪~。その手をお鼻に♪~と私が鼻に手をやりブーブーと鳴いたらケラケラ笑ったんです。
私は短い間だからまだ母と遊べたのかも知れません!兄嫁さんはこんな生活を何年もして行かなくてはいけないのです。嫁さん言うにはまだ徘徊や暴力ないし楽だよって。。。
でも!兄嫁さんは大病で入院生活7ヶ月~その後又数ヶ月と入院生活をしてきて自分の身体もままならないのに。。。
入れ歯も外してあげ(たまにはガブリッと噛まれるらしい)薬も飲ませて(ゴックンして~と言っても水だけ飲み)、、何からなにまでしてあげないと自分では出来ないのです。
回りの母と同じ年の人がシャンとされてまだまだ元気で旅行に行かれて楽しんでおられるのに。。。母は少し早かったのです。
まだまだ書き足らない事沢山ありますが。。。認知症って本当に家族が大変です。
優しい兄嫁さんで本当に感謝で一杯です。